中川繁夫の寫眞と文章

中川繁夫の自伝を書いていきます。すでに収録済みの寫眞帖ブログ、撮影被写体は釜ヶ崎、白虎社、京都、撮影期間は1978.9~1984.3です。

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フォトハウス表現研究所のHP
<フォトハウス設立のころ1984年>
1984年にフォトハウスを設立したときの趣意書を見ると「現在日本の写真状況における当面の課題」と称して、文書を作成しています。その文書はワープロで作られ、各人には封書にして郵便で送りました。思い起こせばワープロが個人でも手に入る価格になっていて、ぼくはそれを購入して、文書を作成しました。価格的には数十万円しておりました。今からみればバカみたいな話ですが、通信手段は電話か郵便。ようやくコピー機とファックスが事務機器として普及しだしたところでした。1981年に東松照明さんの京都取材が始まり、1984年に京都取材が終えられますが、その間、およそ三年数か月にわたって、主に京都で、月に一回から三回、お会いできる機会があって、食事を共にし、北白川にあったウイークリーホテルに滞在されているときには、そこのお部屋へ伺って、写真についての話を、多角的に話が展開されていきました。もう35年も前の話になりますが、ぼくには、それらの日々の光景と、おおむね話をしたまとめが手元に残っていて、記憶がよみがえってきます。

その会話というか議論させていただいた内容を、図表としてまとめたのが「フォトハウスの組織図」でした。
<あくまでこれらは「理想とする姿」であって、決して今すぐに実現するシステムだとは申しませんが、このように理想を描くことによって、その第一歩が踏みだせるものだと思っております>
どこか別のところでその内容については公表しているので、参照していただいたらいいかと思いますが、その企画内容について、東松照明さんからは時期尚早だから公表は避ける方がよいとのアドバイスでした。それは大きな資本によって持って行かれる内容だ、ということでした。そのアドバイスを受けながら、公表したところで、多くは理解されることなく、惨たる幕開けでした。

いま2018年ですが、昨年秋にフォトハウス表現研究所をバーチャルですが設立しました。流れからいうと、1984年にフォトハウス、2001年に総合文化研究所構想、2017年にフォトハウス表現研究所構想、ということで、その基本は1984年のフォトハウス構想に拠っていると思っています。写真の枠から、農業の枠を取り込み、アート全体を捉えるフレームへと移行してきました。フォトハウス表現研究所の領域は、具体的にはインターネット回線を使い、アートの分野、絵画、写真、映像、音楽、文学、を縦軸・横軸・奥行に捉える枠組みを想定するところです。それぞれの分野を統合的に組み合わせ、食のこと、生体のこと、近年の潮流を引き受けて現在形の思考回路を身につけることを模索しようと思っています。
(続く)

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