写真日々

中川繁夫の写真日々。釜ヶ崎、白虎社、京都、の写真を収録しています。

寫眞-10- 京都西陣
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寫眞-9- 京都西陣
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寫眞-8- 白虎社
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寫眞-7- 白虎社
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寫眞-6- 釜ヶ崎
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寫眞-5- 京都西陣
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寫眞-4- 風景-2-
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寫眞-3- 白虎社
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寫眞-2- 釜ヶ崎
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1976年頃から1985年頃まで、まだフィルムしかなかった頃に撮った寫眞。
大分スキャンしたのがあるので、載せて見ようと思います。
寫眞-1- 風景
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現代メディア表現論
「自費出版物から学ぶ写真表現」
nakagawa shigeo  2012.12.8
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関西の写真史にみる自費出版物の役割

<通史>
●写真倶楽部(カメラクラブ)の時代。

明治のころから写真倶楽部が始まる。
1904年(M37)、浪華写真倶楽部、上田備山、安井仲治、小石清ら。
1930年(S5)、丹平写真倶楽部、安井仲治、本庄光郎、棚橋紫水ら。
        芦屋カメラクラブ、中山岩太、ハナヤ勘兵衛ら。
        大阪光芸倶楽部、入江泰吉、岩宮武二ら。

1953年(S28)、シュピーゲル写真家協会 ※ (Spiegel) - ドイツ語で鏡を意味する。
         棚橋紫水、木村勝正、岩宮武二、堀内初太郎、他。
写真倶楽部(カメラクラブ)の発表形態は、主に写真展です。
写真集を発行するには、印刷他にお金がかかる。
集大成として、個人写真集を出版することが通例。

●同人誌の時代。
文学の領域では、写真に先行して、同人による雑誌を発行していました。
文学との遭遇、文学的発想へ、1960年代

マスコミからミニコミの時代へ、1970年代

1968年「プロヴォーク provoke」
1972年「地平」
1977年「写真通信」
1977年「GRAIN」
1980年「写真装置」
1980年「オン・ザ・シーン」
2002年「写場写場」

●個人誌の時代。
1974年「コペ COPE」
1980年「映像情報」

●個人写真集の時代。
1975年ワークショップ写真学校の開校。
自主ギャラリーと出版物、個人写真集。

2010年~ 個人写真集、ZINEが集められる。

<俯瞰図>

(1)
明治のころからアマチュア写真家、職業写真家の活動基盤として、写真倶楽部(カメラクラブ)が起こってきます。
朝日新聞社は全日本写真連盟を支え、地域(支局)から日本(本社)を経て世界へ、とつなげます。
戦後には二科会に写真部が創設され、美術界に写真が組み込まれます。
全国組織のネットワークをつくりだし、カメラ雑誌が広報誌の役割を果たします。

(2)
1968年に写真同人誌「プロヴォーク」が発行されるころから、ミニコミ誌の展開が始まります。
1975年に始まる「ワークショップ写真学校」。
そこに集まった人たちによって「自主ギャラリー運動」が起こります。

(3)
関西では、東京の出来事がカメラ雑誌等、マスコミによって情報がもたらされます。
1980年には、同人雑誌として「オン・ザ・シーン」、個人誌として「映像情報」が発行されます。

1980年当時には、大きくジャンル分けすると、ドキュメント系、オリジナルプリント系、コマーシャル(商業写真)系と分類できます。
文学との遭遇とした写真群は、おおむねドキュメント系に属します。

関西においては、ドキュメント系に属するのが「オン・ザ・シーン」であり「映像情報」だと認定します。
1980年代の半ばになると、オリジナルプリント系の写真講座が起こってきます。
1984年~「フォトハウスワークショップ」、1988年~「リバティ表現大学」などです。

(4)
2012年現在の環境を見ると、写真を学ぶ学校として、大学、専門学校、NPOの写真学校などがあります。
この環境で学んだ人たちを中心として集まる若き写真家たちがいます。
ドキュメント派、オリジナルプリント派、それを職業につなげていく人たち。

公募展と写真賞、キャノン新世紀、木村伊兵衛賞、上野彦馬賞、林忠彦賞 ・・・・。




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現代写真表現論
「森山大道、荒木経惟、中平卓馬から学ぶ、写真表現」
nakagawa shigeo  2011.12.3
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はじめに

ここでは、時間空間をさかのぼり、1968年前後から1970年代半ばまでの状況を軸に、考えます。
この時期に表現される写真の方法を考えるとき、それまでにあった文学状況を対置します。

★1968年、写真状況は、おおきな転換点を迎えたといえるでしょう。
その転換点となるのが写真同人誌「Provoke](プロヴォーク)の発刊でした。

★ここでは、森山、荒木、中平の表現行為にみられる「私性」と「社会性」について。
三人の表現方法の基軸を、この観点から見てみます。

ここでとりあげる三人の写真家とその周辺について。

★中平卓馬と森山大道は、「Provoke」の同人です。
そのそばには、東松照明という写真家がいました。
東松照明を反面教師として、論を立て写真を作ります。

★荒木経惟は、独自の発表手段(郵便メール、自費出版)を使います。
その後、篠山記信のデビューがあり、その対置に自分を置きます。
その後、タブーの公然化、エロス&タナトスを軸に、おびただしく写真集を出版します。

★文学同人誌ではなく「写真」同人誌として「Provoke」を創刊した中平卓馬と参加した森山大道。
写真発表の方法に、メールフォトを展開し、自費出版する荒木経惟。

それからおよそ40年の歳月が過ぎた2011年のいまです。
各人の当時の作品と表現の方法をみながら、いまを考えたいと思います。

 1、文学・写真・日本

●日本文学の特徴

小説を分けるなら、本格小説、通俗小説、心境小説があるといいます(久米正雄・1925)。
日本の小説の特徴「私小説」は、心境小説です。

柄谷行人(文学評論)がいう「風景、内面、告白、病気」(日本近代文学の起源・1980)

「私」を確立してくる過程としての日本文学と「私小説」
自然主義リアリズムの変形としての「私小説」
漱石と鴎外
島崎藤村と田山花袋
宇野浩二、葛西善蔵、太宰治の系譜

●文学と写真の対比

戦後文学の私性に対する社会性(全体小説)
野間宏、大岡昇平、大江健三郎、高橋和巳、等々。
戦後写真の社会性に対する私性
名取洋之助、土門拳、木村伊兵衛、東松照明、等々。

●日本の写真の特徴

日本の写真の特徴といえば、絵画や文学の特徴でもある花鳥風月の世界に対して、
1950年代のリアリズム(社会の表層をなでていく手法でしか深化しなかった)、
1960年代後半の前期コンポラ写真(Provokeを中心とする)と、
1970年代の後期コンポラ写真(牛腸茂雄に代表される)というおおきな流れとしてあります。、
東松照明氏は一貫して、社会ドキュメントの方法とあり方にこだわってきました。

写真を制作するという写真家個人のレベルに立って捉えると、
作家の内側の心情・思想、そこから表現された写真の立場が明確になるのではないか。
このような視点から、全体と個々の作家の写真をみていきたいと思います。

「Provoke」に参加したメンバーは、全員が写真家(専門職)だったのではありません。
中平卓馬は雑誌編集者だったし、岡田隆彦というメンバーは詩人。
写真の撮り手が専門職としての技術屋でなくても写真が成立する、という時代です。

撮影技術が優先される写真から、撮られたモノへの解釈が優先される時代へ、です。

ヒト個人という物体の捉え方です。
それと社会との関係ということです。
つまり、大きな大義名分から、個人的パーソナルな立場への転換があったと思います。

「Provoke」の中平、森山の視点、「センチメンタルな旅」の荒木の視点が、転換点かも。
先行して文学上おいて私を確立してくる過程で、心境を綴る「私小説」に至ったように、
写真が位相を変えて時代を変えて、「私写真」が誕生成立してきた、とも見ています。

●森山、荒木、中平らの写真の特徴。
写真雑誌への発表によって生計を立てる。
「カメラ毎日」1970年代、「写真時代」1980年代など。
写真とともに文章(エッセイ、批評等)を書く。
人間本能のひとつとしてのエロスをとらえる。

1970年代中頃から、業界へ供給が多くなり、プロカメラマンへの道は狭き門となってくる。
写真学校を卒業する若い写真愛好者、作家志向の写真愛好家からのまなざし。

1974年9月、写真学校「WORKSHOP」が開校します。
東松照明、細江英公、横須賀功光、森山大道、荒木経惟、深瀬昌久が講師となりました。
写真作家志向の傾向が顕著になってきます。

 2、三人の写真作家

●森山大道

1938年大阪府池田市生れ
1959年神戸の岩宮武二スタジオに入る。
1961年「VIVO」への参加を目指すが「VIVO」解散のため、細江英公の助手となる。
1962年以降、カメラ雑誌を中心に写真を発表します。
森山大道「にっぽん劇場写真帖」1967年カメラ毎日に発表。 
森山大道「写真よさようなら」写真評論社1972年刊。

※大阪の写真家安井仲治の影響、岩宮武二「佐渡」からの引用

●荒木経惟

1940年東京生れ
荒木経惟のメール・フォト&写真集「センチメンタルな旅」
荒木経惟は、1970年前後、メール・フォトを展開します。
ゼロックス写真帖(70部限定全25巻)
写真をゼロックス・コピーし黒のラシャ紙を表紙として赤糸でとじられた写真集を郵便で送ります。
ここで荒木経惟は、<写真に関するメッセージ伝達の可能性>を追求していました。
1971年には写真集「センチメンタルな旅」を、限定千部定価千円で自家出版します。

妻陽子さんとの新婚旅行を、日常的な眼で追うフォト・ダイアリーです。
東京を発ち、京都から柳川への新婚旅行です。
荒木経惟の写真記録は、個人の新婚旅行というのがテーマです。
それまで写真として見慣れていた、写真の社会的光景を上回る衝撃を内含していたといえます。
プライベート(私的)な関係へのプライベートなまなざし、とでも云えばいいかと思います。

その後は、雑誌、単行本を中心に、作家活動が続きます。
1984年創刊の「写真時代」(白夜書房刊・末井昭編集長)は荒木経惟の三大連載。
森山大道の連載などがあり、写真雑誌というよりエロ雑誌としても圧巻。

荒木の方法論を、文学との関連でいえば、江戸期の井原西鶴の作風を彷彿させます。

※井原西鶴
仮名草子から浮世草子への「好色一代男」
物語小説から近世写実主義小説へ

●中平卓馬
1938年東京生れ
1963年東京外国語大学卒業。
雑誌「現代の眼」編集部に勤務。東松照明と出会い、写真を独学します。
1960年代半に現代評論社を退社、写真家・評論家として、活動します。
1968年同人誌「Provoke]を創刊します。
中平卓馬「来たるべき言葉のために」1970年
中平卓馬「なぜ植物図鑑か」1973年、自らの写真を全否定します。
1977年9月急性アルコール中毒症により倒れ、かなりの記憶を喪失します。

※東松照明と中平卓馬

 3、東松照明と森山大道、中平卓馬。篠山紀信と荒木経惟。

森山大道も中平卓馬も、東松照明とは懇意な仲間といった関係。
先輩東松に対して、後輩たちは一緒に酒を飲み交わし、相互批評をくりかえします。
中平卓馬の言説も、東松照明の写真制作方法へのアンチというのが、底流にあると思われます。

1970年代になると、若い女の子アイドルが登場してきます。
歌手やファッションモデルたちをアイドル化するを現場を担う篠山記信。
それに対抗するようなイメージで、荒木経惟は女の子を撮っていきます。
篠山紀信のエロスと荒木経惟のえろす。
陽と陰、表と裏、そのような関係が読み取れます。

 参考

同人誌「PROVOKE」について

●1968年11月、季刊同人誌「provoke」(プロヴォーク)が創刊されます。
創刊同人は、中平卓馬、高梨豊、多木浩二、岡田隆彦の4人でした。(敬称略)
第二号から森山大道氏が加わり、1969年8月に第三号を発刊して終わりました。

・「報道写真」的な写真の社会機能と「モダンフォト」的な写真作品機能の否定
・「アレ・ブレ・ボケ」といわれる制作方法とその作品群
・言語の意味によって固定される以前の、未分化の世界の断片としての写真
・写真による新しいイメージの創出
・1966年の「コンポラ」展の影響・・・

●「Provoke」は、1968年11月に季刊同人雑誌として創刊されました。

創刊時の同人は、中平卓馬、高梨豊、多木浩二、岡田隆彦の4人。第2号から森山大道が加わります。
「PUROVOKE」とは、「挑発」という意味。サブタイトルに「思想のための挑発的資料」と付けられました。
1969年8月に第3号を出して終わります。
1970年3月写真・エッセイ集「まず、たしからしさの世界をすてろ」を発刊し、同人は解散します。

●「Provoke」同人・岡田隆彦は「せつなさ」という感情を軸に論を立てます。(※1)
(※1)
「せつなさ」をきっかけとする郷愁と予見とはしかし、じっさいの現実にひきおこるとき、はじめからみごとな統一と融和を予定しているなどということはありえない。現実には郷愁と予見はひきあい反撥しあう。
(中略)
この場をはっきりと設定=意識化することが、ある意味では<見ること>であり(中略)対象への距離を意識化することとしての<影像の所有>なのである。
ここにこそ(その行為が自由の現存であるならば)現実を記録し・表現し・励起した映像を実現する種類の写真の根拠があるのであって、光と影の結晶としてのスペルマを享ける者をして、その未知の世界をはらませたとき、はじめて写真が歴史にコミットしたといいうるのではあるまいか。

●「PROVOKE」同人たちの写真集
 ・森山大道「にっぽん劇場写真帖」1968年 
 ・森山大道「写真よさようなら」1972年
 ・中平卓馬「来たるべき言葉のために」1970年
 ・高梨 豊「都市へ」1974年

●当時の写真状況を知るための写真集(抜粋)

 ・東松照明「<11時02分>NAGASAKI」1966年、「日本」1967年、「おお!新宿」1969年
 ・荒木経惟「センチメンタルな旅」1971年
 ・北井一夫「三里塚・1969-1971」
 ・雑誌「季刊映像」1969年―1971年 第10号で終刊

●1968年前後は、学園闘争の只中にあった。

フランスでは5月革命が起こった。「生の根源的な解放」ということがテーマとしてあった。

日本の各大学では学園闘争をきっかけに政治・文化制度への異議申し立てが起こった。1969年度の東京大学入学試験は中止されます。

日本経済は、高度経済成長と大衆消費社会が進展していくなかで、
ひとびとが社会のメカニズムのなかに拡散し、
生きていることのリアリティを失ってしまった、と認知されるような時代でした。

そのような時代の一方で、表現行為とはなにか、ということが問われました。

●当時の流行にコンポラ写真というのがある。

これは1966年にアメリカで開催された写真展
「コンテンポラリー・フォトグラファーズ・・・」(社会的風景に向かって展)から始まる一連の写真群である。

日本においても日常のさりげない事象(事件もストーリーもない)を切り取る横位置の構図、
対象との醒めた距離などを感じさせる写真が出現してきた。
午腸茂雄「日々」(1971年)などがそれである。

自己と他者との関係の網の目を、写真というメディアをとおして検証していく作業のなかで、
そのスタイルが選択されてきたといえる。
のち1977年出版の午腸茂雄「セルフ&アザーズ」はコンポラ写真の代表的作品である。

●1970年代の写真動向

1971年に篠山紀信は写真集「オレレ・オララ」でデビュー 
1973年に大丸百貨店で篠山紀信「スター106人展」沢渡朔「少女アリス」展などが開催された。
1974年に写真学校「WORKSHOP」が開校。季刊誌「WORKSHOP」を発刊
1976年にニュードキュメントのかたちとして土田ヒロミ「俗神」須田一政「風姿花伝」など
1976年には自主ギャラリーが運営され始める。(プリズム、CAMP、PUT)

●1974年9月、写真学校「WORKSHOP」が開校します。
東松照明、細江英公、横須賀功光、森山大道、荒木経惟、深瀬昌久が講師となりました。
各写真家の個人塾、その連合のような学校でした。
季刊誌「WORKSHOP」を発行し、写真家志望の若者に新風をもたらしました。

●1976年は、「WORKSHOP」に参加するメンバーが主体で、自主ギャラリーが運営されはじめます。
「フォトギャラリー・プリズム」
平木収、谷口雅ら13人のメンバーによる自主運営で、新大久保の一室でミニ・ギャラリーを発足させます。
「イメージ・ショップ、CAMP」
新宿御苑近くのマンションの一室で、森山大道を中心に、北島敬三、倉田精二らが自主運営に加わります。
「フォトギャラリー、PUT」
新宿のビル2階の一室で、東松照明の影響を受けた15人のメンバーによる自主運営をしていきます。


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