中川繁夫の寫眞帖

中川繁夫の寫眞帖ブログ、撮影被写体は釜ヶ崎、白虎社、京都、撮影期間は1978.9~1984.3です。

人が表現する手段として作る、音楽、文学、それに画像があります。
音と文字とイメージ、といえばいいでしょうね。
写真は、このなかの、言うまでもなく画像、イメージの分野です。
人が耳から受ける音、目から脳をつかって受ける文字、目で感じる画像。
最近は、写真って、静止画とか、画像とか、こんなふうに呼ばれています。
あえて写真という文字、言葉を使っていきますが、この写真。
目に映る光景がカメラでとらえられて、再現されて、写真として目に見える。
写真のなかに写されたイメージは、現実にあったものの複写、コピー。
文字とは違う、音とも違う、視覚、目に見える、目で見るもの。
こうして目に見えた写真のなか、写っているものの意味を考える。
この意味を考えるということは、文字を理解すると同じ作用だ。
そこで、写真に先立つ文字・文章があって、写真に写ったものが理解される。
このようにして写真が作られ、使われてきた歴史が、写真の歴史の大半です。
ところが、いま、あらたな関係として、音、音楽のように、写真を感じる。
音が耳への刺激で感じるのならば、写真は目からの刺激で感じる。
理屈はいらない、言葉ではなく、ゆらめくとでもいった感じで、感じる。
あらためて、写真の要素をおもうと、見て感じる、本能が感じる、がある。
ことばによる理解ではなくて、本能に直結する感じで、見て感じる。
知性ではなくて感性、理性ではなくて感性、つまり身体が感じるということ。
さて、はたして、そのような画像、静止画、写真が、あるのだろうか。
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