写真日々

中川繁夫の写真日々。釜ヶ崎、白虎社、京都、の写真を収録しています。

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<高校卒業までを総じて>
 最近、同窓会が頻繁に行われるようになりました。高校の同窓会は四年に一度開催されていたのが、古希を迎えて二年ごとに行うということになりました。中学の同窓会が三年ごとに行うということになり、小学校の同窓会が来年6月に行われることが決まりました。ぼくは還暦を過ぎた時から、同窓会に出席するようにしました。いい思い出も気にくわない思い出も、それらすべて含めて、昔の学友と交われるということに楽しみを抱くようになったのです。生きていることの証し、出席できることの健康、半数以上が消息わからず、わかっていても同窓会には出席してこない。さまざまな理由があるとは思うが、出席できる境遇にいるということを、自分に認めてあげて、ラッキーな人生だと思いたい、と思うのです。外歴と内歴が並行して、生まれてから高校卒業までの19年間、4月生まれだから、卒業するとまもなく19歳になったのでした。

 まあね、当時のことだから、佐賀のがばいばあちゃん、じゃないけれど、よく似た環境だったと思います。貧乏といえば相対的に貧乏だったけれど、地域の、もっと限定すれば小学校区のなかでの相対的貧乏度はといえば、給食費が払えなかったから、給食があたらなかった、とうことはなくて、給食費を払ってもらっていたし、学習の本とかも買ってもらっていたから、子供には不自由させないように、親が配慮してくれていたのかも知れません。徹底的に貧乏ではなかったけれど、それなりに貧乏だったと思います。父は建具職人で、個人営業の工場へ建具を作りに行っていました。母は、理容師の免許を持っていたから、散髪屋で仕事をしていました。立命館大学の理髪部で仕事をしていて、夏休みなどには、よく広小路の研心館の地下へ遊びに行った記憶があります。1950年代半ば、昭和30年ごろでしょうか。母の事でいえば、年末には、別の散髪屋さんへ助っ人に行っていました。土日とかにも助っ人に行っていたのか、母の仕事している処へ行って、小学校の五年生位だったか、お金をせびった記憶があります。いくつかの助っ人に行っていた散髪屋さんのひとつに金さんの店があります。これはぼくの思想にも影響してくると思うので、別途、検証してみたいと思うところです。

 いつごろからか、母は、テキヤ、露天商をやりだしたのです。ぼくが小学校の中ほどから中学生のころ、まだやっていたかもしれません。いくつかの場所を覚えています。扱っていた品物も覚えています。三か所、北野天神さん、祇園八坂神社、今宮神社の御旅所。扱う品物、食べ物が主でしたが、何種類かやっていた記憶があります。節分のときですね、金太郎飴お多福飴、花見時には揚げた菓子、当てもんやってたましたね。父が作ったぐるぐるまわりの棒に糸で吊るした針。まわして針が当たった場所に、もらえる品物が書いてある、といった当てもん、です。自転車の荷台に箱を乗せ、そのうえで当てもんをする。当時、紙芝居があったけど、それの亜流みたいな自転車でした。屋台はテントを張る屋台で、天神さんでは電灯がつく場所、覚えているのは二の鳥居の傍でした。なにを売ていたんでしょうか、お正月には子供が煙硝ならして遊ぶ鉄砲とか、売っていたようにも思います。
(続く)




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 いま書こうとしていることは、写真について書いたり語ったりするときの、その内容の事です。話題の中身のことですが、写真というモノの本質に迫っていくような話になるかといえば、決してそうではなくて、その周辺ばっかり、ぐるぐると堂々巡りしているように思えて仕方がない。まずカメラのことが話題になります。カメラの使い方についてあれこれ、露出がどうこう、アングルがどうこう、作画についての話があります。それから、何を撮るか、ということは大事なことで、何を撮るかが問題だ、とまではいうけれど、何を撮ればいいのかということには、なかなか及ばない。どうも何を撮ればいいのかということに言及しようとして、撮る根拠を示すとなると、それが示せないから、あたまっからその話題には触れないでいこうとする感じがしてならない。

 何を撮るかという相手先への認識は、カメラ扱いと写真を作る、プリントする、本にする、ネットにアップする、それらのテクニックの話はできるけれど、撮られる相手への認識となると、そのことを認識するには、写真の範疇を超えていて、政治の問題や、文学の問題や、というように他分野、他ジャンルのことについて知らないといけなくなる。写真を、カメラを持つ以前のところで、そのテーマは発露してくるようなので、他ジャンルの専門知識がないと対処しきれなくなる。こういうことを言い出すと、写真が撮れなくなる、という話になってきて、つまり自分の中でぐるぐる回りの迷路に入ってしまうようです。まあ、自分の体験していることを、文章化してるところがありますが、写真は文章ではなくてイメージそのものだから、言葉は不要です、と。

 ぼくは思いますが、論理が必要な「知」の世界をあらわす写真と、論理が必要ない「情」の世界をあらわす写真があるのです。俗っぽくいえば、知の写真は高尚で、情の写真は下品だ、と感じられているようにも思えます。ここでいう情とは、どちらかといえばセクシュアルな側面を持った写真のことで、エロスに向かう、あるいは究極のエロスから閲覧許されるレベルにまで腑抜けにされたレベルで感じる「情」のこと、わかりずらいですね。まあ、写真の話しといえば、技術論、それにメーカーから供給される道具論、手作りってカメラがあるからそれについても語りますが、技術論ですね。でも、写真は、そういう技術に支えられるけれど、そうではない処のモノをイメージとして世に出す、ということではないのでしょうか。「そうではない」そのものの中身を話題にしていくのが本筋ではないのか、とぼくは思うわけですが。



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 この写真の図は二条城の門の上部、装飾が施されたキンキラキンに光っている光景です。デジタルカメラ、キャノンのG5Xというコンパクトデジカメで2千万画素で撮れるというカメラです。フィルムで撮っていた時から見たら、もう想像を絶するほどに、進化したカメラ装置、その周辺も含めて、カメラという道具がフィルムのときとは違う。ついつい、昔の話をしたくなる、そんなこんなで、関西の写真史を文字、文章と少しのイメージで描いていこうと思っている矢先の、この話です。フィルムを使って作った写真を展覧会に出展する。デジタルを使って作った写真を展覧会に出展する。出展された場では、フィルム制作もデジタル制作も、変わらない、紙に定着させるという最終出力の形は変わりません。ぼくが思うのは、あいかわらず写真展で紙に定着させたイメージを展示するということ、出版物として紙に定着させて保存するということ、このことへの想いです。デジタルだから、紙になんて定着させないのが、最前線なんだと思っていたけど、そうではないということ、これが現在地点ですね、結局。

 ぼくが一眼レフカメラを手にしたのが1975年頃です。当時、露出計内蔵カメラが主流になりつつあった時期だったと思います。自動露出ではなくて、ファインダーの横に針がついていて、それをもう一つの針に合わせる、だったと思うんですが、そうして露出を決定しましたね。でも、ぼくはその後ニコンF2のアイレベルを使いだして、露出計はセコニックのものを使いました。まあ、それから、露出については自動露出があたりまえになってきて、すごいことになっていて、でも若干の露出補正でまかなえる、という便利さで、ぼくは写真を撮っています。写真家さんを名乗る大半の人は、それはイージーすぎて、自動露出は使わない、マニュアルで撮る、らしいですが、本当でしょうか。カメラに内蔵の露出計ではなくて、単体の露出計を使うのでしょうか、こんな話はしたことないから、今度、プロカメラマンをしている人に会ったら訊いてみようかと、思います。

 もう写真という代物に関わりだして40年近くになります。いやはや子供のころからいえば60年近くになります。フィルムはモノクロでしたけど、1960年代半ばにはネガカラーが出てきて、それで撮るようになった。でも、カメラクラブに関わるようになってからはモノクロフィルムを使うようになります。ネガカラーでは作品にならない、という風潮で、カラーならリバーサル、ポジで撮るということでした。ポジで撮って紙に定着させるには、インターネガといってネガカラーフィルムに撮って、それで紙に定着させるということでした。ぼくの経験では、ポジで撮ってインターネガに起こすということはしませんでした。1980年ころでしたか、ダイレクトプリントなる方法が考案されて、リバーサルフィルムから、直接、紙にプリントできるようになった。モノクロフィルムで撮って、フィルム現像処理をして、プリントするって、いまのデジカメ、パソコンの流れからみたら、とんでもなく時間とお金がかかるものでした。

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※掲載写真は1985年のフォトハウスWS風景から。
<フォトハウスの歴史>-10-

フォトハウスの「写真データーベース」づくりについて。

 フォトハウスの事業のひとつとして、写真家、美術家、写真などに関するデーターベースを作成し、研究に寄与しなければならない。
写真家リスト、美術家リスト、技術情報、出版情報、技法、保存、など。
1、写真家らの作品特性、得意技術などの個人情報。
2、写真諸団体の組織情報。
3、部門別伝統技法などの技術情報。
4、博物館、美術館などのミュージアム情報。

 データ整理、データ蓄積の手法の確立。
 積極的な情報提供。
 データーベース整備で、狭い世界に閉じこもりがちな写真家、美術家たちの他のジャンル、他地域のメンバーなどとの交流が活発になる。また、交流を通じて写真、美術の新たな発展の方向が探れると考えられる。
 また、永年の伝統に培われた各種技法の保存が容易にできること、写真や美術を学びたいという人に適切な情報提供が可能になる。


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フォトハウス表現塾のHP

2017年10月開塾しました「フォトハウス表現塾/メイン講座」です。
開塾場所は
alnair alternative space
<アルナイル>
〒660-0892 兵庫県尼崎市東難波町3-18-8 です。
連絡は中川繁夫(facebook)
https://www.facebook.com/sense.nakagawa

ただいまメイン講座の塾生を募集しています。
問い合わせは、中川繁夫(facebook)へコメントしてください。

https://www.facebook.com/sense.nakagawa

メイン講座第2回目は 2017年11月18日(土)午後2時~午後5時
開塾場所は,
兵庫県尼崎市の「アルナイル」 alnair
 
定員5名です。
参加費1000円(フォトハウス表現研究所会員は500円)
研究テーマは「コンポラ展の時代1960年から そして今」です。
以下、毎月一回第三土曜日の予定で研究会を開塾します。
アルナイルは、ギャラリー176のディレクター杉あつよさんのスペースです。


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※掲載写真は1985年のフォトハウスWS風景から、講師は高橋則英氏、です。
<フォトハウスの歴史>-9

PHOTO・HOUSE GALLERY の開設について

 フォトハウスが生み出した作家をフォローしていくための場として、発表を行っていくためのギャラリーの開設が将来必要になってくると考えられます。また、作品制作のための材料を扱い、発表までのプロセスにいたる諸材料を取り揃えておくショップを開店していかなければならないと考えます。

フォトハウスギャラリー
1、ギャラリー部門・・・・作品の展覧会
2、完成作品販売部門・・・・オリジナル、印刷物、イメージ商品等の企画と販売
3、制作材料販売部門・・・・特殊薬品類、特殊機器類、額装のための備品類等の制作と販売
4、印刷斡旋・・・・トータルプランニング請負など

 フォトハウスギャラリーの機能としては、作家と作品を流通に乗せ、商品価値物として需要を喚起し作品を世に送り出すことを目的とします。このためには、制作途上においてさまざまな材料や薬品などが必要になり、また作品収納のための額、ケース、マット、などが必要となりますが、一般には得がたい商品でもあるので、フォトハウスギャラリーの特選品として販売に提供し制作者のための利便を図っていきたいと考えます。



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※掲載写真は1985年のフォトハウスWS風景、講師は山崎信氏、です。
<フォトハウスの歴史>-8-

SIZUHARA ART VILLAGE PHOTO HOUSE WORK SHOP

静原芸術村構想の概要
1、京都市北部の山間部に、現代美術の拠点を構築する。
2、芸術ジャンルとしては、絵画の周辺に位置するところの諸ジャンルとする。
3、具体的には
 (1)写真、版画(各素材)、シルクスクリーンなど複数の再生が可能な芸術諸ジャンルとする。
 (2)写真、映画、ビデオといった映像のジャンルとする。
4、各々に講座を設ける。
5、年に一回程度、各ジャンル融合のシンポジュームを開催する。
6、講座講師には、なるべく多くのメンバーを迎え、各講師の継続した講座を開催する。
7、受講生には基礎から高度な技術が身につくまで研究できるようにする。
8、発表形態については
 (1)展覧会
 (2)出版
9、展覧会については美術館、ギャラリーを使用の他、芸術村での屋外展示やテント張によって開催することも可能である。
10、出版については、雑誌形式のもの、単行本形式のもの、もた個人単独のもの、合同のもの、などが考えられる。
11、制作された作品は、独自のルートで販売される。
12、このようなサイクルを持った芸術村の創出が必要であろう。
                                    以上


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1980年ごろだったか、かって写真行為論なんてタイトルで文章を書いていた記憶があります。写真行為とは、写真を撮って、その写真をどう他者に見せるか、ということを考えていたところでした。その頃って、ネット環境なんてなくて、だからもちろんメールなんてなくて、ソーシャルネットワークSNSなんてなくて、あったのは電話回線を使って草の根BBSでしたか、パソコンから文字を送るということが始まったばかりでした。その当時にはビデオカメラもセットで百万ほどしたからぼくなんかは手に負えるものではありません。写真を見せるといっても、ギャラリーを借りて、写真展を開く、そこへ来てもらう(この方法は現在も行われています花盛り的に)。来てもらうためには知らせなければいけなくて、ハガキなどに印刷して、郵便で送るという方法で告知していたところです。友達に見せ、家族で共有する、ということがありますが、写真愛好者が集まるクラブの例会や、新聞社が主催する写真例会や、カメラ雑誌のコンテスト、これらが発表の場として、確保することでした。それがいま、今、いまはどうなのか。このことを論評してみようと思い立ち、ここにいるところです。

掲載した写真は太陽の塔、たいがいの人はこの造形物が何処にあって何なのかということを、見ればわかるというレベルにいらっしゃると思います。じつはこれ、スマホ、アンドロイドを使っていますが、それを使ってインスタグラム、俗称インスタで撮って、ネットにアップした静止画なのです。ライブ発信です。ライブ発信ということは、撮ったその場で数秒後には、ぼくのサイトにアップされるわけです。ぼくは、見せる行為としての写真行為論を組み立て、ライブで痕跡を残していこうと思っていて、それの実行という行為です。かって、まだビデオ環境がなくて写真をつくるのにもフィルムを使っていた当時、1979年ですが、日替わり写真展という行為を実行してみました。撮った写真を現像処理して翌日に展示するという行為でした。それが今や、スマホからSNSへ、という行為です。

スマホで撮ってインスタにアップします。インスタにアップすると同時に、ブログのアメバ、SNSのツイッター、フェースブックへ、アップします。それぞれにそれぞれの使い勝手があって、使い道があって、SNS系は時間軸に沿って記事が流されていく感じで、すぐさま過去になってしまう感覚です。でも、場所とおおむねの時間が同時に記録されているから、過去から現在への見せ方がライブ感覚でできるわけです。と同時にインスタの写真をブログのアメバに連動させていて、アメバには写真記事として溜まっていきます。これらは、写真表現のレベルで、写真発表の現場であって、発表する形式であって、SNSではイイネをポチで、サロン的要素を共有感覚が持てて、写真展に足を運んでもらうよりはるかにイージーに、友達関係に見てもらうことができる。ブログは、ぼくの場合、公開してるから、だれでも見れるようになっています。
(続く)

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※掲載写真は1985年のフォトハウスWS風景から、講師は島尾伸三氏、です。
<フォトハウスの歴史>-7-

フォトハウス研究所の設定について

 フォトハウス・ワークショップを開講してきたなかで、基礎部分が終わり、研究分野に進んでいくことになり、数人のメンバーによって研究会が開催されることになる。そこで以前からも私の構想の中にあった形態だが、写真学研究所といったものを開設し、ここを写真研究の中軸としていくことが望ましいと考えています。具体的には大隈さんのスタジオを当面の所在地とし、写真の基礎技法をフォローする化学的メカニズムを研究する母体としていくことを目的とします。

<フォトハウス写真学総合研究所>

第一課、化学実験を中心とした分析学術
    1、薬品研究 2、フィルム現像特性研究 3、完全処理プリント研究

第二課、光学、工学理論を中心とした分析学術
    1、写真美学研究 2、写真システム研究 3、カラー写真研究

第三課、歴史、社会構造、思想を中心とした分析学術
    1、写真史学研究 2、写真社会学研究 3、写真教育学研究

第四課、作家及び作品の解析を中心とした学術評論等
    1、内外歴代写真家研究 2、内外歴代写真作品研究 3、現代写真研究

第五課、写真をベースとした表現、写真から派生した表現の学術研究
    1、写真応用美術研究 2、周辺表現ジャンル研究
                                          以上



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※掲載写真は1985年のフォトハウスWS風景から、講師は平木収氏、です。
<フォトハウスの歴史>-6-

定例研究会の開催について

 1986年2月以降、フォトハウス写真研究機構の構築についての具体的なダイアグラム、スケジュール等を討議するための定例研究会を開催する。
 これは研究講座事務局が主催する研究会とは別個に、フォトハウス事務局が主催し、将来のフォトハウスのビジョンとして「写真学総合研究機構」といった構造を構築していくための青写真づくりを行うものです。すでに案については概略ながら作成されています。「フォトハウス研究所の設定について」の課目を具体的な分類と内容について検討します。

 システム化された研究機関・組織又は個人を有機的につなぎ、研究者、研究生らは、それら機関を通じてフォトハウスの提唱する育成の範囲の研究者を育成します。各専門家として必要な研究項目(カリキュラム)を作成し、フォトハウスの傘下のもとに設定し、配置し、学ばせます。

 つまり学舎を持たない大学以上のレベルを持った研究機構を構築する。これまでの研究機関というのは、大学であれ研究所であれ、おおむね閉鎖された機構として存在している。フォトハウスが考えるところの機構は、それら大学や研究所を含め、なお不足部分について所定の条件で設立し、総合的に、研究の場をオープンさせて行こうとするものです。日本のあらゆる期間を有機的につなぎ、連携を持ったなかで人材を育成していこうとするものです。


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 静止画によるイメージ制作で、なにを為そうとしているのか。いつも、たいがい、写真という字面を見て、読んで、思うことが多い、自分への質問状です。考えるというか思うというか。考えるということは、論を組み立てていく作業だと思うけど、論を組み立てるなんてことができないから、思う、というレベルだと感じています。俗に写真といっているモノを、最近のことでいうと、静止画といういいかたの方があっているのではないか、と思えます。静止画に対して動画というモノが置けるからです。技術的に写真が出現する以前は、絵画、版画という平面の静止した絵でした。絵画、写真、映像、という歴史的時間の流れのなかで、現れてきた表現手段です。

 静止画である写真というモノを軸に考えてみると、ここから四方八方、いやはやビッグバーンで宇宙が拡大していくがごとく、様々な方向に論がひろがっていくではありませんか。その中心に立って、見まわしてみて、そこから見える星屑のごとく、一点一点に論を与えていくことにしないといけない、と考えるわけです。つまり、全体像をイメージ化して言語にしていく、あるいはイメージ画像にしていく、このことが重要なことではないかと思えます。道具としてのカメラが、今や、いとも簡単に静止画=写真を作り出してくれるから、絵画に比べて、動画=映像にくらべて、イージーに簡単、遊びの道具としてもてはやされる時代です。

 「写真について思う」シリーズは、およそ二年半ぶりの再開になります。前の最後のイメージが内灘の弾薬庫痕の風景だったので、その続きとして、同じ時に撮った別角度の写真を載せました。撮影は1975年ごろの夏です。内灘とは石川県の海金沢から近い砂丘の海岸にある地名です。今は渚ドライブウエーの起点になっています。で、1980年ごろには、この弾薬庫痕が無くなっていて、当然、現在においては見ることができません。戦争が終わって占領がとかれた当時、ここに米軍の試射場が設置されて、その弾薬庫として使われたコンクリートの塊の残骸が写ったのが、この写真です。ぼくの手元にこのネガがあり、デジタルデーターになって、いま、ここに、お見せできるのですが。一枚の写真から、その背景の話にすすめていくと、これは歴史の証しとなりますね。

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※掲載写真は1985年のフォトハウスWS風景から、です。
<フォトハウスの歴史>-5-

フォトハウスが開催する講座:フォトハウスワークショップの講座について

技術修得講座
 ・ゾーンシステム(基本技術)
 ・シルバープリント、ブループリント、ガムプリント(ゴム印画法)
 ・古典的印画法各種
 ・シルクスクリーン、リトグラフ(石版画、銅版画)
 ・プリントのあーカイバル処理、各種調色
 ・ポートフォリオ、オリジナルプリント保存法
 ・造本、オリジナル写真集
 ・出版、出版ノウハウ
 ・ポラロイド写真の応用
 ・コピー機材の応用によるプリント制作
 ・カラープリント

技能修得講座
 ・写真史(歴史、社会構造、思想など各種細分化)
 ・美術史(歴史、社会構造、思想など各種細分化)
 ・現代美術(写真、美術などの現代思潮)

研究コース
 ・ワークショップ受講済のメンバーによる各研究講座
 (より専門知識を修得し、栄作・研究される成果が一級の商品としての価値が付加されるまでを目途とする)

セミナー
 ・専門分野の専門知識を持って専門レベルで講義
 (フォトハウスWS受講者以外の受講希望者も受け入れる)


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