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 1980年になってからの話しですが、聖家族で釜ヶ崎の個展をおこなったときに来てくれたビデオグループ、岡崎純くんと瀬川恵美さん、この二人にはたいへん世話になります。とくに瀬川さんは、釜ヶ崎でビデオカメラで労働者の人たちを記録しているということから、懇意になっていきます。岡崎純くんは、すでに白虎社をビデオ作品として撮っていたと記憶しています。ぼくが、釜ヶ崎取材から白虎社取材にいく橋渡しは、この二人から誘われたといえると思います。白虎社の写真は、聖家族の壁面に張られていました。ぼくが最初におとずれたときには、張られていたと記憶しています。その時まで、東寺、暗黒舞踏と呼んでいたジャンルのパフォーマンスがあるなんて、知りませんでした。ぼくの白虎社への興味は、釜ヶ崎への興味と同じ地平になりました。イメージとして、釜ヶ崎は社会のヘッジで、アウトサイドになるところです。そのことでいえば、ぼくのなかで、白虎社、暗黒舞踏の領域は、アウトサイドに位置するように感じられたのでした。取材に入ります。岡崎くんと瀬川さん、この二人と共に夏の合宿に同伴することになります。

 彼らは天王寺区の高層アパートの一室を事務所にしていて、ビデオカメラを使い、シンセサイザーを使い、レザー光を飛ばす技術を使って、新しい舞台をつくることができるグループでした。そのオフィスになっている事務所へ、釜ヶ崎取材の帰りに、立ち寄って、いろいろと歓談しました。京都では、聖家族を自主ギャラリーとして運営しだしたところで、彼らも賛同してくれました。ちょっと言いにくいことですが、写真を撮っていた連中は、その自主ギャラリーのムーブメントには、なにかと難色を示して、参加してきませんでした。ともあれ、自分たちの作品を発表する場所としての自主ギャラリー運営は、関西にいたメンバーにとっては魅力ある話ではあったはずなのに、です。岡崎くんらのグループが、新しい時代の潮流だとして、作家の小松左京さんの信望をもらい、ジョーシンの売り場管理するという名目で月額50万円の契約が成立しました。そこでビデオグループの入居先を、長堀橋のマンションの一角を借りることになり、念願だった自主ギャラリーの開設にいたるのでした。名称は「ザ・フォーラム」写真展示とビデオや映画の自主上映場所として、機能し始めることになります。