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 1980年には、聖家族を拠点にしたフリースペース運動を行いますが、その広報誌として発行したのが「フリースペース聖家族通信」でした。この年、8月に聖家族の存続が立ちいかなくなり、フリースペースも休むことになりました。手元では、このフリースペース聖家族通信を「映像情報」にあらため創刊しました。「映像情報」の創刊は1980年8月1日付で発行していて、新しい映像の評論理論誌と標榜しています。まあ、大袈裟なといえば大袈裟な意思表示ですが、その頃は、一方で「季刊釜ヶ崎」の編集にも携わっていましたから、そのことの必要性も考えていたことでした。ぼくの雑誌編集発行ノウハウは、それより10年前に文学同人誌「反鎮魂」のグループに参加したことの経験からだと思えますが、1979年12月には「季刊釜ヶ崎」を創刊しているので、それの関連で「映像情報」が生むことができたと思えます。孤立無援、的な感覚でした。なぜ、そうなのか、そういう思いなのかということについては、別の機会に譲りますが、1969年ころの学生運動の末裔で、それらの企画が生まれ実践しなければいけない、と思っていたと思えます。この年、協賛者はビデオの岡崎くん瀬川さん、気持ちの上でもたいへんお世話になったと思います。

 1980年ごろだったと思います。アサヒカメラの誌上に「いま!!東松照明の世界展」という巡回展企画があることを読みました。それの大阪展を実行委員会があるというニュースを知ったのが1981年、記憶を辿って、若干の資料をつないでいくと、この1981年の秋に集まりがありました。連絡があって、出向いたところは、大阪写真専門学校(現在のビジュアルアーツ大阪)でした。この集まりで、向こうから声をかけていただいて、のちにいくつかのイベントを実行するメンバーと出会いました。そのなかに畑祥雄さんがいらして、ぼくのことを知っているといってもらって、京都のギャラリーDOT(どっと)の岡田悦子さんを紹介してもらいました。そのとき、畑さんからシンポジウムができないかとの発案があって、それを真に受けて、ほかの何人かのメンバーに呼びかけ、11月7日、京都は出町の「ほんやら洞」でシンポジウムを開催することになったのです。ほんやら洞の甲斐さん、その頃には知り合っていた新司さん、畑さん、岡田さん、それに中川の五人が呼びかけ人となりました。「Photo シンポジウム in Kyoto」に参加を、という呼びかけの手作りチラシを作って配りました。

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