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 いま、ぼくのなかで恩師と呼ぶ人があれば、達栄作さん、のちに智原栄作と名前が変わる方だろうな、と思います。カメラをもって、写真を撮りだして、年上の方と出会って懇意になった最初の人です。その当時、二科会の会友、光影会の会長、全日本写真連盟京都支部の役員、深草にあった自宅へ、かなり頻繁に訪問させていただきました。1976年から1978年まで、写真の基礎概念を考え、自分で作りだしていくための基礎を学んだように思います。教えられるというより、議論のような会話で、彼の撮影の方法が変わっていく過程そのもので、ぼくの写真に対する基本姿勢ができたように思います。最近になって、関西の写真史を概観するようになって、あの人もこの人もいらしたけれど、そこそこ深い交流があった先輩は、達栄作さんでした。もっぱらドキュメンタリーの方法とか、写真の在り方とか、写真のことがわからないまま、文学を学んだ概念を軸に、話をしていたように思います。このときの経験は、写真論とは、写真の外にある概念の組み立てである、といったようなことが直感として理解したように思えます。入門三年目で二科会関西支部に名を連ねさせてもらったところから、それらの関係を断ち切って釜ヶ崎へ向かったときまで、達さんには感謝します。縁というものはまわりまわって自分にかえってきます。その後においても様々な方と知り合って、深い議論や会話を交えた方には、感謝です。おおむね、深く関わった方というのは、この達栄作さんと1981年から三年間お世話になった東松照明さんでした。