写真とは何か、なんて言葉の言い回しが流行していました。
あたまは写真だけではなくて、たとえば文学とは何か、とか。
ある領域をつかさどる言葉について、「何か」と問うわけです。
この質問形式は、解答を導くのに、けっこうキツイと思っています。
それぞれ論者が、それぞれの方向で語っていくけど、結論なしです。
そんなこんなを繰り返しながら30年もやって来ているように思う。
そうなんです、30年位前に写真を極めようとした人の発想です。
その時代、その時々、キーワードとなる言葉が、変化すると思うんです。
いまどきの人、写真を始めようとする人のキーワードはなんなんだろう。
写真学校なんて主宰していると、いつもこのことが頭をよぎります。
先生と生徒がいて、先生は先生の価値観で教えることになります。
これは教える教えられるという関係でみた場合のなりたちです。
先生⇒生徒という一方通行方式ではなくて、相互に教え教えられる関係。
この関係ですが、これでは教育にならないんでしょうかね?
あくまで大人、成人を対象にした場での、教え教えられる関係。
話の方向がだいぶんそれているんですけど、問題は、写真とは何か。
昔人間には、いつも、やっぱり、この問題があたまをもたげてくるんです。
写真について思う、このシリーズは、こんな話の展開になりそうです。
ああでもない、こうでもない、ああでもない、こうでもない・・・・。
結局こうして彷徨し揺れ動く状況を、現わせていければいいのかとも思うけど。
京都写真学校の第一期入学の日 2005.4.10
あたまは写真だけではなくて、たとえば文学とは何か、とか。
ある領域をつかさどる言葉について、「何か」と問うわけです。
この質問形式は、解答を導くのに、けっこうキツイと思っています。
それぞれ論者が、それぞれの方向で語っていくけど、結論なしです。
そんなこんなを繰り返しながら30年もやって来ているように思う。
そうなんです、30年位前に写真を極めようとした人の発想です。
その時代、その時々、キーワードとなる言葉が、変化すると思うんです。
いまどきの人、写真を始めようとする人のキーワードはなんなんだろう。
写真学校なんて主宰していると、いつもこのことが頭をよぎります。
先生と生徒がいて、先生は先生の価値観で教えることになります。
これは教える教えられるという関係でみた場合のなりたちです。
先生⇒生徒という一方通行方式ではなくて、相互に教え教えられる関係。
この関係ですが、これでは教育にならないんでしょうかね?
あくまで大人、成人を対象にした場での、教え教えられる関係。
話の方向がだいぶんそれているんですけど、問題は、写真とは何か。
昔人間には、いつも、やっぱり、この問題があたまをもたげてくるんです。
写真について思う、このシリーズは、こんな話の展開になりそうです。
ああでもない、こうでもない、ああでもない、こうでもない・・・・。
結局こうして彷徨し揺れ動く状況を、現わせていければいいのかとも思うけど。
京都写真学校の第一期入学の日 2005.4.10