中川繁夫の寫眞と文章

中川繁夫の自伝を書いていきます。すでに収録済みの寫眞帖ブログ、撮影被写体は釜ヶ崎、白虎社、京都、撮影期間は1978.9~1984.3です。

2013年10月

写真とは何か、なんて言葉の言い回しが流行していました。
あたまは写真だけではなくて、たとえば文学とは何か、とか。
ある領域をつかさどる言葉について、「何か」と問うわけです。
この質問形式は、解答を導くのに、けっこうキツイと思っています。
それぞれ論者が、それぞれの方向で語っていくけど、結論なしです。
そんなこんなを繰り返しながら30年もやって来ているように思う。
そうなんです、30年位前に写真を極めようとした人の発想です。
その時代、その時々、キーワードとなる言葉が、変化すると思うんです。
いまどきの人、写真を始めようとする人のキーワードはなんなんだろう。
写真学校なんて主宰していると、いつもこのことが頭をよぎります。
先生と生徒がいて、先生は先生の価値観で教えることになります。
これは教える教えられるという関係でみた場合のなりたちです。
先生⇒生徒という一方通行方式ではなくて、相互に教え教えられる関係。
この関係ですが、これでは教育にならないんでしょうかね?
あくまで大人、成人を対象にした場での、教え教えられる関係。
話の方向がだいぶんそれているんですけど、問題は、写真とは何か。
昔人間には、いつも、やっぱり、この問題があたまをもたげてくるんです。
写真について思う、このシリーズは、こんな話の展開になりそうです。
ああでもない、こうでもない、ああでもない、こうでもない・・・・。
結局こうして彷徨し揺れ動く状況を、現わせていければいいのかとも思うけど。

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     京都写真学校の第一期入学の日 2005.4.10


かれこれ30年、フォトハウス設立が1984年です。
当時の写真をめぐる状況を語ってみたいと思います。
最初は、カメラについて、です。
フィルムサイズが35㎜版、一眼レフカメラ。
ニコン、キャノン、ミノルタ、ペンタックス等、これらは日本のメーカーです。
そのなかでも高級の部類はニコンF2、露出は内蔵してなくて外付け。
ぼくが持ていたのはアイレベルとか言って、露出計のないニコンF2でした。
いや、露出計のついたフォトミックとかの機種は高かった。
露出計はセコニックの針が振れるのを使うようになっていました。
レンズは単体で、ズームレンズはあったけど使わなかった。
焦点距離は18㎜、24㎜、28㎜、35㎜、50㎜、85㎜、105㎜、200㎜、300㎜。
いつの間にかこれらが手元にありました、買ったわけですが。
カメラを持って、これはフィルムを入れて撮影する式のカメラ、フィルムカメラです。
このフィルムは、経済的な観点からモノクロフィルムしか使えなかった。
まだカラーといえばリバーサルフィルムを使っていたころです。
つまり、作品を作るとか以前に、カメラとレンズをどうするかという問題。
お金持ちは困らないと思うけど、若かったし収入も少なかったし、です。
やっぱり、写真をするということは、特別なことだったのかも知れません。
いま、デジタル時代とはちがって、めちゃくちゃお金がかかった。
そのように思う。
ああ、写真について語るよりも、カメラ機材についての話になりましたね。
追って写真についての思いを書いていきたいと思っています。

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