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この自伝を1979年12月に、飲み屋「聖家族」でおこなった「釜ヶ崎」写真展から起こしていますが、そこに至る前段として、ぼくに何が起こっていたのか、ということを検証しないといけないな、と思いだしています。ということで簡略すれば、ぼくが一眼レフカメラを買ったのは1975年の春ではなかったかと思います。1968年に立命館大学二部文学部に入学し、卒業まで七年かかっていて、その卒業が1975年だからです。学費を払わなくてよくなって、そのお金でニコマートを買った。そのように記憶しています。子供を撮るためといえば、一般的で常套句ですが、当初はそれでした。まだ文学というか、小説家を目指していましたから、文学への未練を捨てきれずにいて、写真を撮ることにのめりこむのは、それから一年ほど後、京都シュピーゲルという名前の写真クラブ、ぼくが入会したときは光影会と改称されていましたが、1976年の春頃だったでしょうか、1977年になっていた頃でしょうか。「’77冬の旅」というフィルムの束があるので、たぶん1976年ですね。最初は全日本写真連盟の個人会員となりました。カメラ雑誌が唯一の情報源だったぼくにとって、写真を撮っている人たちと交わっていくきっかけは朝日新聞社でした。
写真は恩師達栄作さんとモデルになってくれた高校生の伸子さん、余呉からの帰りの列車のなかでの一枚です。ツーショットの写真は、これしかありませんが、彼女を撮った写真は、けっこう四季折々の場面であります。ちょうどフィルムスキャンしているいま、彼女があらわれてきています。達さんとのことを書いておかないと、ぼくの写真人生、わからなくなりますから、記述していきます。