夏が終わっていく日々、とはいっても暑い日々です。
お盆が過ぎて、気持ちを切り替えて、先に向かいます。
過去を過去として、これから起こることに、新しい自分をかけていきます。
この三年間、いろいろ試みてきたけれど、あまり成果にはならなかったと断定です。
新しいといっても、何が新しいのか、そのことから、検証していかないといけないね。
身の回りでも、いろいろと変化が起きていて、日々環境が変わっていきます。
来月には、自分の写真の話をさせていただく機会に恵まれました。
レジメを作ったので、別のブログに載せたところです。
1980年代の検証、ということで、その後は共同作業になります。
こうしていま、2019年にまで至っていて、かれこれ40年の歳月が流れた。
フォトハウスから、総合文化研究所、現代表現研究所に至るまでの過程があります。
フリースペース「聖家族」、映像情報、ザ・フォーラム、フォトハウスワークショップなどなど。
いくつものステップアップを経て、現在に至っているところですが、これの検証です。
でも、もう、あまり、論を立てていくというのも、現代的じゃないなぁ、と思います。
現在はもっと、内面のところが問題として表れてきています、「私の研究」ですね。
1978年の夏だったかに「私風景論」という文章を書いていました。
「私」という制作者が、私の構造に向かう、構造を解析する、というもの。
いま、そのことが、ぼくのなかに、立ち現れてきています。
ぼくの子供世代のYONEDAさんの思考に触発されているわけです。
時代が、私をどうとらえるか、に向かってきて、今、主要なテーマになった感です。