日々記録

中川シゲオの日々記録。釜ヶ崎、白虎社、京都、の写真を収録しています。撮影期間は1978.9~1984.3でした。

カテゴリ: 日々記録

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夏が終わっていく日々、とはいっても暑い日々です。
お盆が過ぎて、気持ちを切り替えて、先に向かいます。
過去を過去として、これから起こることに、新しい自分をかけていきます。
この三年間、いろいろ試みてきたけれど、あまり成果にはならなかったと断定です。
新しいといっても、何が新しいのか、そのことから、検証していかないといけないね。

身の回りでも、いろいろと変化が起きていて、日々環境が変わっていきます。
来月には、自分の写真の話をさせていただく機会に恵まれました。
レジメを作ったので、別のブログに載せたところです。
1980年代の検証、ということで、その後は共同作業になります。
こうしていま、2019年にまで至っていて、かれこれ40年の歳月が流れた。

フォトハウスから、総合文化研究所、現代表現研究所に至るまでの過程があります。
フリースペース「聖家族」、映像情報、ザ・フォーラム、フォトハウスワークショップなどなど。
いくつものステップアップを経て、現在に至っているところですが、これの検証です。
でも、もう、あまり、論を立てていくというのも、現代的じゃないなぁ、と思います。
現在はもっと、内面のところが問題として表れてきています、「私の研究」ですね。

1978年の夏だったかに「私風景論」という文章を書いていました。
「私」という制作者が、私の構造に向かう、構造を解析する、というもの。
いま、そのことが、ぼくのなかに、立ち現れてきています。
ぼくの子供世代のYONEDAさんの思考に触発されているわけです。
時代が、私をどうとらえるか、に向かってきて、今、主要なテーマになった感です。

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暑い日、昼間の京都は38度にもなる予報でした。
SANOさんと二か月に一回の朝ミーティングでした。
昼からは珍皇寺、西福寺を訪ねていきました。
昨日から六道参りが始まっていて、写真を撮りに行ったのです。

田村さんの写真展を、見に行こうと思いながら行けなかったのですが。
今日は六道、清水道からバスに乗って、高野で降りて、見に行きました。
展覧会の内容は、パン屋さんの記録、今回は大正製パン所の写真でした。
田村さんは京都在住、30過ぎたばかりの若い写真家です。

この暑さには、バテてしまう。
歯茎が腫れて、痛くて、噛めない。
歯科医院へ行って薬もらっているけど、根本治療ではない。
まだ、歯は、年の割には健在な方だと、思っていますけど。

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あれから三年、紆余曲折三年。
ここで一定の区切りをつけて気持ちの整理です。
積み上げてきた記事満載のブログを整理しました。
新しい気持ちになって、出発だ。
三年、千日って、ひとつの区切りになる年月、日数ですね。

ブログの名も「中川シゲオの日々記録」としました。
ここはフィルムで撮った写真が、いっぱい詰まったブログです。
それはそれとして、新たに、日記をつけるブログとして、使います
あまりアクセスがないブログですが、手動でフェースブックにリンク。
掲載写真は蚕ノ社境内 2019.8.2


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暑い、毎日暑いです。
今日は、フォトクラブ京都の例会日です。
旧知のメンバーですが、新しい人も参入してくれます。

ホームページの統合と、ブログの廃止、これをやっています、
このブログは、写真がいっぱい収録してあるので、やめられません。
その気になったときには、やめると思います。

自分が何をしているんや、それをテーマにして、自分研究です。
どういう方向ですすめていけばいいのか、未定です。
究極のテーマ、いよいよ時代は、ここまで来たようです。

掲載写真は、神泉苑の鳥居から境内、2019.8.2撮影です。

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古い写真を見ると、その時の記憶がよみがえってくるんですよね。
写真の力といえばいいのか、脳裏に浮かぶ記憶よりも鮮明に思い出します。
思い出は記憶だから、記録された写真から記憶が導き出される、というもの。
いまさら論を立てる気はないですが、この写真、高校二年生のときの写真です。
座ってど真ん中にいるのがぼくですが、ブラスバンドの指揮をしていたから手ブラ。
1963年の秋ですが、ブラスバンド部を創って最初の年の文化祭記念です。

そうそう、最初にチャレンジしようと思ったのが、音楽家になることでした。
音楽理論とか勉強して、作曲家か指揮者になりたいなぁ、と思っていた。
音大への入試にはピアノ演奏が必須だというから、ピアノを習いだした。
とはいっても、高校卒業して十字屋に就職して、そこから2年間ピアノを習った。
バイエルから始めたわけで、レッスン室で身体こわすまでけっこう練習しました。
こわすというのは栄養不足で、下降型、破滅型の人間に、あこがれていたから。

音楽指向から文学指向に変わっていくのは、時代の波が影響してたかも。
まだ大学生ではなかったけれど、学生運動には惹かれるものがありました。
三年遅れで大学生になったのが1968年で、学生運動盛んなころでした。
全学連運動は、クラス単位で結成した闘争会議が集まって全学共闘会議。
クラスの闘争会議が起ったのは、R大ではかなり早い時期のようでした。
そういう時代を経験して、表と裏の境目みたいな道を歩んできて、今ですね。




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金沢駅で昼ご飯を食べようとして探していたら、まいもんや寿司の店がありました。
金沢の回転寿司は有名ですが、この店の名前も有名、値段が高い、100円寿司とは違う。
でも、昼で、このセットに味噌汁がついて、税別1500円でございました。
昼の定食セットで一番安い奴です。
内容については、あれこれ申しませんが、微妙に美味い、旨い、さすがです。

寿司の話でゆうと、ぼくは高校1年の秋から3年の夏まで、寿司屋でバイトしてた。
土日のバイトで、配達のバイトで、単車に乗れたから、重宝がられたみたい。
それに配達する得意先の名前と家を、すぐに覚えたらしい、重宝がられた。
寿司については、作り方のノウハウ、いろいろと教えてもらいました。
ホルモンの味付けは中学生のとき、寿司のノウハウは高校生のとき、ですね。

その頃のことを思いだすと、妙に寒々とした光景ばかりがよみがえります。
夜に、喫茶店にたむろして、単車で街を突っ走って、詩や小説を書こうとしていた。
かっこいいわけないけれど、このように書くと、若いころ、そんなんしてたの羨ましい。
なんていう人もいるけれど、まあ、愛に恵まれていなかったのかも知れないね。
だから、いまもって、愛を求めて、徘徊しているんだと、思うんです。

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