中川繁夫の寫眞と文章

中川繁夫の自伝を書いていきます。すでに収録済みの寫眞帖ブログ、撮影被写体は釜ヶ崎、白虎社、京都、撮影期間は1978.9~1984.3です。

カテゴリ: 写真について思う

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 いま書こうとしていることは、写真について書いたり語ったりするときの、その内容の事です。話題の中身のことですが、写真というモノの本質に迫っていくような話になるかといえば、決してそうではなくて、その周辺ばっかり、ぐるぐると堂々巡りしているように思えて仕方がない。まずカメラのことが話題になります。カメラの使い方についてあれこれ、露出がどうこう、アングルがどうこう、作画についての話があります。それから、何を撮るか、ということは大事なことで、何を撮るかが問題だ、とまではいうけれど、何を撮ればいいのかということには、なかなか及ばない。どうも何を撮ればいいのかということに言及しようとして、撮る根拠を示すとなると、それが示せないから、あたまっからその話題には触れないでいこうとする感じがしてならない。

 何を撮るかという相手先への認識は、カメラ扱いと写真を作る、プリントする、本にする、ネットにアップする、それらのテクニックの話はできるけれど、撮られる相手への認識となると、そのことを認識するには、写真の範疇を超えていて、政治の問題や、文学の問題や、というように他分野、他ジャンルのことについて知らないといけなくなる。写真を、カメラを持つ以前のところで、そのテーマは発露してくるようなので、他ジャンルの専門知識がないと対処しきれなくなる。こういうことを言い出すと、写真が撮れなくなる、という話になってきて、つまり自分の中でぐるぐる回りの迷路に入ってしまうようです。まあ、自分の体験していることを、文章化してるところがありますが、写真は文章ではなくてイメージそのものだから、言葉は不要です、と。

 ぼくは思いますが、論理が必要な「知」の世界をあらわす写真と、論理が必要ない「情」の世界をあらわす写真があるのです。俗っぽくいえば、知の写真は高尚で、情の写真は下品だ、と感じられているようにも思えます。ここでいう情とは、どちらかといえばセクシュアルな側面を持った写真のことで、エロスに向かう、あるいは究極のエロスから閲覧許されるレベルにまで腑抜けにされたレベルで感じる「情」のこと、わかりずらいですね。まあ、写真の話しといえば、技術論、それにメーカーから供給される道具論、手作りってカメラがあるからそれについても語りますが、技術論ですね。でも、写真は、そういう技術に支えられるけれど、そうではない処のモノをイメージとして世に出す、ということではないのでしょうか。「そうではない」そのものの中身を話題にしていくのが本筋ではないのか、とぼくは思うわけですが。



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 この写真の図は二条城の門の上部、装飾が施されたキンキラキンに光っている光景です。デジタルカメラ、キャノンのG5Xというコンパクトデジカメで2千万画素で撮れるというカメラです。フィルムで撮っていた時から見たら、もう想像を絶するほどに、進化したカメラ装置、その周辺も含めて、カメラという道具がフィルムのときとは違う。ついつい、昔の話をしたくなる、そんなこんなで、関西の写真史を文字、文章と少しのイメージで描いていこうと思っている矢先の、この話です。フィルムを使って作った写真を展覧会に出展する。デジタルを使って作った写真を展覧会に出展する。出展された場では、フィルム制作もデジタル制作も、変わらない、紙に定着させるという最終出力の形は変わりません。ぼくが思うのは、あいかわらず写真展で紙に定着させたイメージを展示するということ、出版物として紙に定着させて保存するということ、このことへの想いです。デジタルだから、紙になんて定着させないのが、最前線なんだと思っていたけど、そうではないということ、これが現在地点ですね、結局。

 ぼくが一眼レフカメラを手にしたのが1975年頃です。当時、露出計内蔵カメラが主流になりつつあった時期だったと思います。自動露出ではなくて、ファインダーの横に針がついていて、それをもう一つの針に合わせる、だったと思うんですが、そうして露出を決定しましたね。でも、ぼくはその後ニコンF2のアイレベルを使いだして、露出計はセコニックのものを使いました。まあ、それから、露出については自動露出があたりまえになってきて、すごいことになっていて、でも若干の露出補正でまかなえる、という便利さで、ぼくは写真を撮っています。写真家さんを名乗る大半の人は、それはイージーすぎて、自動露出は使わない、マニュアルで撮る、らしいですが、本当でしょうか。カメラに内蔵の露出計ではなくて、単体の露出計を使うのでしょうか、こんな話はしたことないから、今度、プロカメラマンをしている人に会ったら訊いてみようかと、思います。

 もう写真という代物に関わりだして40年近くになります。いやはや子供のころからいえば60年近くになります。フィルムはモノクロでしたけど、1960年代半ばにはネガカラーが出てきて、それで撮るようになった。でも、カメラクラブに関わるようになってからはモノクロフィルムを使うようになります。ネガカラーでは作品にならない、という風潮で、カラーならリバーサル、ポジで撮るということでした。ポジで撮って紙に定着させるには、インターネガといってネガカラーフィルムに撮って、それで紙に定着させるということでした。ぼくの経験では、ポジで撮ってインターネガに起こすということはしませんでした。1980年ころでしたか、ダイレクトプリントなる方法が考案されて、リバーサルフィルムから、直接、紙にプリントできるようになった。モノクロフィルムで撮って、フィルム現像処理をして、プリントするって、いまのデジカメ、パソコンの流れからみたら、とんでもなく時間とお金がかかるものでした。

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1980年ごろだったか、かって写真行為論なんてタイトルで文章を書いていた記憶があります。写真行為とは、写真を撮って、その写真をどう他者に見せるか、ということを考えていたところでした。その頃って、ネット環境なんてなくて、だからもちろんメールなんてなくて、ソーシャルネットワークSNSなんてなくて、あったのは電話回線を使って草の根BBSでしたか、パソコンから文字を送るということが始まったばかりでした。その当時にはビデオカメラもセットで百万ほどしたからぼくなんかは手に負えるものではありません。写真を見せるといっても、ギャラリーを借りて、写真展を開く、そこへ来てもらう(この方法は現在も行われています花盛り的に)。来てもらうためには知らせなければいけなくて、ハガキなどに印刷して、郵便で送るという方法で告知していたところです。友達に見せ、家族で共有する、ということがありますが、写真愛好者が集まるクラブの例会や、新聞社が主催する写真例会や、カメラ雑誌のコンテスト、これらが発表の場として、確保することでした。それがいま、今、いまはどうなのか。このことを論評してみようと思い立ち、ここにいるところです。

掲載した写真は太陽の塔、たいがいの人はこの造形物が何処にあって何なのかということを、見ればわかるというレベルにいらっしゃると思います。じつはこれ、スマホ、アンドロイドを使っていますが、それを使ってインスタグラム、俗称インスタで撮って、ネットにアップした静止画なのです。ライブ発信です。ライブ発信ということは、撮ったその場で数秒後には、ぼくのサイトにアップされるわけです。ぼくは、見せる行為としての写真行為論を組み立て、ライブで痕跡を残していこうと思っていて、それの実行という行為です。かって、まだビデオ環境がなくて写真をつくるのにもフィルムを使っていた当時、1979年ですが、日替わり写真展という行為を実行してみました。撮った写真を現像処理して翌日に展示するという行為でした。それが今や、スマホからSNSへ、という行為です。

スマホで撮ってインスタにアップします。インスタにアップすると同時に、ブログのアメバ、SNSのツイッター、フェースブックへ、アップします。それぞれにそれぞれの使い勝手があって、使い道があって、SNS系は時間軸に沿って記事が流されていく感じで、すぐさま過去になってしまう感覚です。でも、場所とおおむねの時間が同時に記録されているから、過去から現在への見せ方がライブ感覚でできるわけです。と同時にインスタの写真をブログのアメバに連動させていて、アメバには写真記事として溜まっていきます。これらは、写真表現のレベルで、写真発表の現場であって、発表する形式であって、SNSではイイネをポチで、サロン的要素を共有感覚が持てて、写真展に足を運んでもらうよりはるかにイージーに、友達関係に見てもらうことができる。ブログは、ぼくの場合、公開してるから、だれでも見れるようになっています。
(続く)

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 静止画によるイメージ制作で、なにを為そうとしているのか。いつも、たいがい、写真という字面を見て、読んで、思うことが多い、自分への質問状です。考えるというか思うというか。考えるということは、論を組み立てていく作業だと思うけど、論を組み立てるなんてことができないから、思う、というレベルだと感じています。俗に写真といっているモノを、最近のことでいうと、静止画といういいかたの方があっているのではないか、と思えます。静止画に対して動画というモノが置けるからです。技術的に写真が出現する以前は、絵画、版画という平面の静止した絵でした。絵画、写真、映像、という歴史的時間の流れのなかで、現れてきた表現手段です。

 静止画である写真というモノを軸に考えてみると、ここから四方八方、いやはやビッグバーンで宇宙が拡大していくがごとく、様々な方向に論がひろがっていくではありませんか。その中心に立って、見まわしてみて、そこから見える星屑のごとく、一点一点に論を与えていくことにしないといけない、と考えるわけです。つまり、全体像をイメージ化して言語にしていく、あるいはイメージ画像にしていく、このことが重要なことではないかと思えます。道具としてのカメラが、今や、いとも簡単に静止画=写真を作り出してくれるから、絵画に比べて、動画=映像にくらべて、イージーに簡単、遊びの道具としてもてはやされる時代です。

 「写真について思う」シリーズは、およそ二年半ぶりの再開になります。前の最後のイメージが内灘の弾薬庫痕の風景だったので、その続きとして、同じ時に撮った別角度の写真を載せました。撮影は1975年ごろの夏です。内灘とは石川県の海金沢から近い砂丘の海岸にある地名です。今は渚ドライブウエーの起点になっています。で、1980年ごろには、この弾薬庫痕が無くなっていて、当然、現在においては見ることができません。戦争が終わって占領がとかれた当時、ここに米軍の試射場が設置されて、その弾薬庫として使われたコンクリートの塊の残骸が写ったのが、この写真です。ぼくの手元にこのネガがあり、デジタルデーターになって、いま、ここに、お見せできるのですが。一枚の写真から、その背景の話にすすめていくと、これは歴史の証しとなりますね。

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このブログには、1980年前後に撮ったフィルムからの画像を載せています。
フィルムに残された画像、もう陽の目を見ることもなかろう、と思っていました。
かって撮った写真を見たいと言われて、スキャンすることにしたのが3年前か。
手持ちの半分ほどのフィルムを、ちまちまとスキャンして、セレクトしました。
ここには大阪市内、西成釜ヶ崎、それに舞踏集団白虎社の画像を載せています。
撮ってからおよそ35年が過ぎてしまいました。
過去をふり返るということに抵抗を感じていた数年前までの過去。
いま自分が撮った写真をながめて、うまく撮れていないのが恥ずかしい。
スキャン画像はトリミングなしのフィルムそのままで載せています。
これはスキャンしてデジタルに変換している画像です。
スキャン専用のデジタルカメラで撮られた画像です。
思えばフィルムで撮っていた頃から見るとデジタルは使い良い。
もちろんフィルムからデジタル、その逆への処理がシームレスにできるから。
写真業界のシステムが、そのようにしてくれているからです。
いずれデジタルカメラで撮られた画像が全てになって、フィルムは旧メディア。
はたして紙に刷られた画像は、このまま続けられるのでしょうか。
そのことが、いま、ぼくのプレゼンテーションにおける関心ごとです。
ニコマートという機種を手にして、家族以外の風景を撮った最初。
掲載写真は、その最初の写真で、映像情報の表紙に使った写真です。
いまデジタルデーターになって、ここに載せます、石川県の内灘です。

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