中川繁夫の寫眞と文章

中川繁夫の自伝を書いていきます。すでに収録済みの寫眞帖ブログ、撮影被写体は釜ヶ崎、白虎社、京都、撮影期間は1978.9~1984.3です。

カテゴリ: 写真について思う

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<ステーグリッツとオキーフ>
 20世紀がはじまったころのニューヨークに、ステーグリッツが291ギャラリーを創設します。まだ女学生だったオキーフがこのギャラリーにやってきて、そののちにはステーグリッツと一緒に住むようになります。ステーグリッツ45才、オキーフ20才、といったところですでに名をはせていたステーグリッツにオキーフが学ぶといった関係から始まったと思います。そこで、ステーグリッツは、オキーフのポートレートを撮ります。資料が手元にないのであてずっぽ、記憶の中で書いていきますが、1930年半ばごろまで撮っているのではなかったかと思います。1970年代になって、それらの写真がニューヨークの近代美術館にて公開、展覧会が開かれ、写真集が作られ、世にしれることになります。

 彼女のポートレートを撮るということは、写真する者にとってよくあることです。絵画において自分の彼女や子供を描くということも多々あります。この写真行為について、プライベートな領域からパブリックな領域に引きだされてきた時代の流れがあります。いま2018年を迎えましたが、現在的な意味からいって、彼女のあるいは彼の、つまり関係する二人の間に撮られる写真が、作品となって表出してくるという構図が、公認されています。近代小説のなかで日本には私小説が自然主義のなかから出てきて、今もなお作品としてある形式ですが、写真においても、これは1970年代ごろにおいてでしょうか、作品化されるようになったと思います。

 ぼくは現代写真の基軸となる写真家にステーグリッツをあげています。スナップショットの技法や、オキーフのポートレートを、現代につながる写真の方法と行為だったと考えるのです。291ギャラリーを主宰すること、ヨーロッパに留学していて分離派運動に参加したとされるステーグリッツが、アメリカはニューヨークに戻ってきて、それこそ近代主義、モダニズムそのものの真っただ中で、ヨーロッパとアメリカの架け橋をつくっていくというのです。ステーグリッツの内面にオキーフという女性がいて、たぶん恋愛感情でもって、彼女を見ていたと思えます。その第一人称と第二人称の関係の中で、写真という行為があること、これが非常に「現在的」だと思うのです。カメラ機材の問題ではなくて、作品をつくる人間としての感情の問題としてです。




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<スマホフォト>
 この写真は、スマートフォン、アンドロイド、グーグルが提供しているソフトウエア。本体機種はソニーのエクスペリア、そこに最初からついていたカメラで撮ったものです。被写体は寿司ですが、スマホ本体の中で色と露出の調整、黒枠を入れる、など加工して、ツイッターにアップしています。インスタグラムとツイッター、ともにSNS、ソーシャルネットワークサービスの枠組みで、facebookに転載できるようにしています。今年の流行語大賞に「インスタ映え」が選ばれて、あっ、と思ったところです。たぶん圧倒的大部分の若い男女がスマののカメラを手元に持つ様になって、メモする感じで写真を撮る。動画の場合もありますね、縦長サイズの動画。この傾向を見ていて思うことは、これまでの写真概念を大きく変えている、ということでしょう。変えているというより、言葉で論じるなら、新しい発想で写真を捉える必要に迫られていると思います。

 そもそも、写真という言葉もへんな言いかただなぁ、と思うようになって久しいんですが、静止画とは言わずに写真と言って、書いて、いるところですね。ぼくなんかは、正直、最近「写真」という言いかたに違和感を覚えていて、動画に対して静止画が正しいように思ったりします。映画に対して写真、この対比のイメージは、フィルムで撮られた映画に対しての写真のイメージです。そろそろ、写真っていう言いかたを改めないと、混乱が生じてくる感じです。アートとかドキュメンタリーとか、その写真を分類して、整理して、社会の範疇に組み込もうとしてきたわけだけれど、もちろん今もって、それらの論は有効であって、なんら遜色なく、現代というものの質を露わにしていると思えます。そういうことで分ければ、スマホで撮る写真の大半の使われ方というか「インスタ映え」に象徴される写真の群は、これは、新しいジャンルだと言い切っていいかと思います。

 写真は写真でも、コマーシャル分野の写真とか、アートやドキュメンタリーという概念とは違ったジャンル。肖像写真館で撮る写真とも違ったジャンル。同じように平面に現わされる静止した画ですが、アートやドキュメンタリー、表現としての写真、それらと一線を画して語るのが、スマホ写真、インスタ映え、ということには正しいのかも知れません。昨年のことですが、ぼくはスマホを使って、写真集を作るという行為を、計画的にやったところです。カメラと表現の歴史を思うと、大型カメラから小型カメラに変わってきて、カメラやレンズの性能が向上してきて、それに伴って作品が生み出されてきた、という歴史があります。新しいカメラやフィルムを使うとき、いつも現実主義者の頭では、新しいツールを否定的に捉えてしまいます。そのときの時代の標準となった道具を使うことに、なんの疑義も持ちえない。いつも時代のなかで、新しいものと、すでに定着したもの、の層があって、新しいことが否定されていたのに、次第に市民権を持つ、ということになってくるのでした。そのことでいえば、スマホフォトは、新しい表現ジャンルであると考えるのです。



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 いま書こうとしていることは、写真について書いたり語ったりするときの、その内容の事です。話題の中身のことですが、写真というモノの本質に迫っていくような話になるかといえば、決してそうではなくて、その周辺ばっかり、ぐるぐると堂々巡りしているように思えて仕方がない。まずカメラのことが話題になります。カメラの使い方についてあれこれ、露出がどうこう、アングルがどうこう、作画についての話があります。それから、何を撮るか、ということは大事なことで、何を撮るかが問題だ、とまではいうけれど、何を撮ればいいのかということには、なかなか及ばない。どうも何を撮ればいいのかということに言及しようとして、撮る根拠を示すとなると、それが示せないから、あたまっからその話題には触れないでいこうとする感じがしてならない。

 何を撮るかという相手先への認識は、カメラ扱いと写真を作る、プリントする、本にする、ネットにアップする、それらのテクニックの話はできるけれど、撮られる相手への認識となると、そのことを認識するには、写真の範疇を超えていて、政治の問題や、文学の問題や、というように他分野、他ジャンルのことについて知らないといけなくなる。写真を、カメラを持つ以前のところで、そのテーマは発露してくるようなので、他ジャンルの専門知識がないと対処しきれなくなる。こういうことを言い出すと、写真が撮れなくなる、という話になってきて、つまり自分の中でぐるぐる回りの迷路に入ってしまうようです。まあ、自分の体験していることを、文章化してるところがありますが、写真は文章ではなくてイメージそのものだから、言葉は不要です、と。

 ぼくは思いますが、論理が必要な「知」の世界をあらわす写真と、論理が必要ない「情」の世界をあらわす写真があるのです。俗っぽくいえば、知の写真は高尚で、情の写真は下品だ、と感じられているようにも思えます。ここでいう情とは、どちらかといえばセクシュアルな側面を持った写真のことで、エロスに向かう、あるいは究極のエロスから閲覧許されるレベルにまで腑抜けにされたレベルで感じる「情」のこと、わかりずらいですね。まあ、写真の話しといえば、技術論、それにメーカーから供給される道具論、手作りってカメラがあるからそれについても語りますが、技術論ですね。でも、写真は、そういう技術に支えられるけれど、そうではない処のモノをイメージとして世に出す、ということではないのでしょうか。「そうではない」そのものの中身を話題にしていくのが本筋ではないのか、とぼくは思うわけですが。



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 この写真の図は二条城の門の上部、装飾が施されたキンキラキンに光っている光景です。デジタルカメラ、キャノンのG5Xというコンパクトデジカメで2千万画素で撮れるというカメラです。フィルムで撮っていた時から見たら、もう想像を絶するほどに、進化したカメラ装置、その周辺も含めて、カメラという道具がフィルムのときとは違う。ついつい、昔の話をしたくなる、そんなこんなで、関西の写真史を文字、文章と少しのイメージで描いていこうと思っている矢先の、この話です。フィルムを使って作った写真を展覧会に出展する。デジタルを使って作った写真を展覧会に出展する。出展された場では、フィルム制作もデジタル制作も、変わらない、紙に定着させるという最終出力の形は変わりません。ぼくが思うのは、あいかわらず写真展で紙に定着させたイメージを展示するということ、出版物として紙に定着させて保存するということ、このことへの想いです。デジタルだから、紙になんて定着させないのが、最前線なんだと思っていたけど、そうではないということ、これが現在地点ですね、結局。

 ぼくが一眼レフカメラを手にしたのが1975年頃です。当時、露出計内蔵カメラが主流になりつつあった時期だったと思います。自動露出ではなくて、ファインダーの横に針がついていて、それをもう一つの針に合わせる、だったと思うんですが、そうして露出を決定しましたね。でも、ぼくはその後ニコンF2のアイレベルを使いだして、露出計はセコニックのものを使いました。まあ、それから、露出については自動露出があたりまえになってきて、すごいことになっていて、でも若干の露出補正でまかなえる、という便利さで、ぼくは写真を撮っています。写真家さんを名乗る大半の人は、それはイージーすぎて、自動露出は使わない、マニュアルで撮る、らしいですが、本当でしょうか。カメラに内蔵の露出計ではなくて、単体の露出計を使うのでしょうか、こんな話はしたことないから、今度、プロカメラマンをしている人に会ったら訊いてみようかと、思います。

 もう写真という代物に関わりだして40年近くになります。いやはや子供のころからいえば60年近くになります。フィルムはモノクロでしたけど、1960年代半ばにはネガカラーが出てきて、それで撮るようになった。でも、カメラクラブに関わるようになってからはモノクロフィルムを使うようになります。ネガカラーでは作品にならない、という風潮で、カラーならリバーサル、ポジで撮るということでした。ポジで撮って紙に定着させるには、インターネガといってネガカラーフィルムに撮って、それで紙に定着させるということでした。ぼくの経験では、ポジで撮ってインターネガに起こすということはしませんでした。1980年ころでしたか、ダイレクトプリントなる方法が考案されて、リバーサルフィルムから、直接、紙にプリントできるようになった。モノクロフィルムで撮って、フィルム現像処理をして、プリントするって、いまのデジカメ、パソコンの流れからみたら、とんでもなく時間とお金がかかるものでした。

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1980年ごろだったか、かって写真行為論なんてタイトルで文章を書いていた記憶があります。写真行為とは、写真を撮って、その写真をどう他者に見せるか、ということを考えていたところでした。その頃って、ネット環境なんてなくて、だからもちろんメールなんてなくて、ソーシャルネットワークSNSなんてなくて、あったのは電話回線を使って草の根BBSでしたか、パソコンから文字を送るということが始まったばかりでした。その当時にはビデオカメラもセットで百万ほどしたからぼくなんかは手に負えるものではありません。写真を見せるといっても、ギャラリーを借りて、写真展を開く、そこへ来てもらう(この方法は現在も行われています花盛り的に)。来てもらうためには知らせなければいけなくて、ハガキなどに印刷して、郵便で送るという方法で告知していたところです。友達に見せ、家族で共有する、ということがありますが、写真愛好者が集まるクラブの例会や、新聞社が主催する写真例会や、カメラ雑誌のコンテスト、これらが発表の場として、確保することでした。それがいま、今、いまはどうなのか。このことを論評してみようと思い立ち、ここにいるところです。

掲載した写真は太陽の塔、たいがいの人はこの造形物が何処にあって何なのかということを、見ればわかるというレベルにいらっしゃると思います。じつはこれ、スマホ、アンドロイドを使っていますが、それを使ってインスタグラム、俗称インスタで撮って、ネットにアップした静止画なのです。ライブ発信です。ライブ発信ということは、撮ったその場で数秒後には、ぼくのサイトにアップされるわけです。ぼくは、見せる行為としての写真行為論を組み立て、ライブで痕跡を残していこうと思っていて、それの実行という行為です。かって、まだビデオ環境がなくて写真をつくるのにもフィルムを使っていた当時、1979年ですが、日替わり写真展という行為を実行してみました。撮った写真を現像処理して翌日に展示するという行為でした。それが今や、スマホからSNSへ、という行為です。

スマホで撮ってインスタにアップします。インスタにアップすると同時に、ブログのアメバ、SNSのツイッター、フェースブックへ、アップします。それぞれにそれぞれの使い勝手があって、使い道があって、SNS系は時間軸に沿って記事が流されていく感じで、すぐさま過去になってしまう感覚です。でも、場所とおおむねの時間が同時に記録されているから、過去から現在への見せ方がライブ感覚でできるわけです。と同時にインスタの写真をブログのアメバに連動させていて、アメバには写真記事として溜まっていきます。これらは、写真表現のレベルで、写真発表の現場であって、発表する形式であって、SNSではイイネをポチで、サロン的要素を共有感覚が持てて、写真展に足を運んでもらうよりはるかにイージーに、友達関係に見てもらうことができる。ブログは、ぼくの場合、公開してるから、だれでも見れるようになっています。
(続く)

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